25歳くらいのころだったでしょうか。
当時外資系保険会社の営業として勤務していました。
営業成績が思わしくなく、このままでは将来的な収入がかなり厳しいなと思い転職を考え始めました。
インターネットサイトやハローワークなど様々な媒体に頼り、求人情報を見ていたのですがなかなかいいなと思える求人がなく、毎日ただただ焦っていました。
そんなときに知人から連絡が入りました。
「毎日記事を書く仕事だけど、やってみないか?」というまさかの仕事の紹介です。
仕事の内容としてはある地域のラジオ番組を放送するにあたって、番組のホームページ内にて放送では伝えきれない地域の魅力を毎日発信するというものでした。
たまたまその地域に幼いころから居住していたこともあり、これなら自分にもできるかもしれないし面白そうだと思い知人に連絡をし面接の運びとなりました。面接はラジオ放送局にて行われました。
放送局と呼ばれる場所に入るのはもちろん初めてのことだったのでとても緊張しました。
勇気を出して中に入り、応接室へ通され面接がスタート。
面接は個人面接で、簡単な挨拶のようなものを交わし、その地域にどれくらい住んでいるのかなどの雑談を軽くしただけで終了しました。
こんなものでよかったのかな?と疑問に思いながら家路へついたのを覚えています。
帰宅後、すぐに採用の連絡を頂き、保険会社を退職しその仕事へ就くことになりました。
最初は記事を毎日書くだけと聞いていたのですっかり安心していたのですが、採用後に番組にもたまに出演するというまさかの指示を頂きびっくりしました。
またまた驚いたのが私と同じように記事を書く人は私を含めて3人いること。
そして3人が毎日それぞれその地域の魅力について更新していくということでした。
私が住む地域は田舎の小さな町ですので目立った観光資源もなく、商業施設も少ない場所です。
仕事の期間は1年間です。
急にできるかどうかとても不安になりました。
実際に実務に取り組み始めてからは営業時以上に走り回る日々でした。
毎日ネタを探すために地域のささいなことも聞き込みをし、記事にしていきました。
番組の放送が開始され始めてからは、休む暇もなくなり本当にキツイ日々を過ごしました。
ですが、幸いにも直行直帰が許されていたので、営業時の毎日必ず会社に出勤というものがなくなったのでまだ気持ちは楽でした。
番組が少しずつ地域に根付き始めた頃、少しずつ状況が変わってきました。
取材に行く先々で「番組を聞いているよ。」「記事を読んでいるよ。」という風に声をかけてもらえるようになってきました。
少しでも地域に貢献できているのかなと思うとやる気も湧き、積極的に取材に出れるようになりました。
取材をする立場として様々なところへ行くことで、営業時代には出来なかったような人との関わりを持つことができ毎日が少しずつ充実していきました。
それまでは仕事で関わる人とはお金と商品のやり取りをする関係でしかなかったものが、この仕事ではそんなやり取りが存在しません。
ただコミュニケーションを取り、関係を深めていきお話を聞いていくという今までとは違った関係を築いていくことができました。
営業職から全然違う業界に変わり、最初は忙しさに馴染めずつらい日々を送っていましたが、自分の地域の魅力を再発見することができ、とてもいい勉強になりました。
またそれまで関わることもなかったたくさんの人達からお話を聞け、関係を築けていったことも本当に自分には良い経験になり、転職して良かったなと心より思います。
