大学卒業後、一般事務として食品会社へ勤務していました。勤続年数5年目の27歳の頃に、私の中で「このまま事務員として働き続けていいのか?」という疑問が生まれました。
27歳という年齢は、転職するにはギリギリの年齢だと聞いたことがあります。多分、その言葉を覚えていたので余計に考えてしまったのだと思います。その時に結婚の予定が入っていればまた違ったのかもしれませんが、私には結婚を約束している相手はおろか、付き合っている人もいませんでした。
勤務5年目にもなると、仕事にも余裕がてできますし、環境にもすっかり慣れて居心地はとても良いものです。先輩は優しいし後輩は可愛い、賞与もしっかりもらえて有給も気兼ねなくとれます。そんな恵まれた環境にいるにも関わらず、私の頭の中は自問自答の繰り返しでした。
それには理由がありました。私が卒業した大学は音大でした。ピアニストを夢見て必死に勉強し、留学も経験しました。でも私の実力は世界に追いつかず、4回生になり周りがバタバタと夢を諦めていく中で、私もいつしかピアニストの夢を諦めていました。
ピアニストが無理ならピアノ関係の仕事に就きたいと思っていましたが、それも倍率が高く、更に雇用が正規ではなかったことが私に追い打ちをかけました。音大を出てなお、親を安心させられない環境というのがすごく申し訳なく思い、雇用のしっかりした会社に就職しようと決めたのです。
音大卒業者が一般の会社への就職は難しいとされています。企業側に面接でも厳しく問われる部分でした。しかし内定をいただいた企業は温かく迎え入れてくれたのです。私にとっては感謝の気持ちしかなく、ずっとここで働こうと決めたはずだったのですが。
実際にはピアノが頭から離れることはなく、四、仕事が終わった後は必ず家でピアノの練習をしていました。1日も欠かさないのを見た母親が、趣味なのにそんなに根を詰めなくても・・・と言いました。私は「趣味」という言葉に非常にショックを受けたのを覚えています。否定したいけれどするだけの結果を備えていない、だから口をつぐむしかありませんでした。
毎日悶々と過ごしている中で、友人の一人が会社を辞めました。大手企業に勤めていた友人だったのでビックリして理由を聞くと、やりたいことがあるからだとアッサリ言われました。人生は一回しかないし、後悔を口にするほど格好悪いものはない、と。
そんな友人の吹っ切れた凛々しい姿を私は羨ましく思いました。そしてまた自問自答を繰り返すのでした。
それから数ヶ月後、私は転職を決めました。転職と言っても転職先はほとんどアルバイトのような状態です。私はピアノ教室へ講師として勤務することが決まりました。
それだけでは生計が立たないため、生演奏のあるレストランなどに自分を売り込みに行き、ピアノ奏者として雇ってもらえないかと聞きまわりました。一軒のみでしたが、ピアノ奏者として雇っていただけることになり、昼はピアノ講師、夜はピアノ奏者として働くことになりました。
退職のことを親に相談した時、親は意外にも驚きませんでした。ピアノを引いている時が生き生きしていたから、遅かれ早かれこうなっていただろうと言われ、私は思わずありがとうと泣いてしまいました。
会社にもすごくお世話になり、一人一人に挨拶をして回りましたが、温かく送り出してくれるのを見て「退職したことを後悔しないように頑張ろう」と思いました。
転職は人生を変えるとても大変なことです。年齢が上がるにつれ、転職をすることも難しくなります。そんな中で自分の意思をしっかり確認して、どんな形でも後悔なく進んでいくことが大切だと思います。
