50代の男性です。3年前の冬の話になるのですが、私は30年間ほど勤務した県立高校の英語教員を早期退職しました。原因は莫大な仕事量に耐えきれなくなり、睡眠障害になってしまったことでした。
しかも睡眠薬をオーバードーズしたまま自動車で通勤し、走行中に何度かガードレールにぶつかりながらも職場に到着したのでした。実は睡眠薬をオーバードーズする前には、よくわからない薬も多用していて、高校生の前で授業中に不適切な発言をやらかしていました。それらのこともあり、私は校内で島流しにあってしまいました。
そこの現場に転勤してきたのは12年くらい前だったのですが、その頃は生徒も先生もフレンドリーな関係で楽しい職場だったのですが、いつのまにか体育系の厳格な雰囲気が学校全体に漂うこととなり、極めて非常に息苦しい雰囲気に変化していきました。
何でもかんでも中心になって仕切らなければ気が済まない非実力者という人物はどこにでもいるものですが、周囲からは嫌われているのにそして迷惑をかけているのに、そのことにいつまでたっても認識できない陸上専門の体育教師がいまして、そのパワハラが何年も続くと本当に気の休まることがありません。
私は担任と副担任という関係で嫌々ながら最低限だけの付き合いをしたかったのですが、どうしても何かとクラスの生徒のことでいちゃもんをつけてきたりして、本当に気の休めない数年が続きました。
また私は他人からの仕事を押し付けられると、良い人のふりをしてしまって、どんなことも引き受けてしまう最悪な性格も持ち合わせていました。そういうこともあって、オーバーワークになりました。
しかし適切なストレスの発散があれば、それでもなんとか倒れずに過ごせたと思うのですが、特別にテニスをするとかバレーをするとかといったようなエクササイズ系の趣味を持ち合わせていませんでした。大学時代にはバンド活動でベースを弾いたりしていましたが、学校でそんなこともする余裕なんてありませんし、高圧的で上から目線の職場の同僚のいいなりになってしまっていました。
しかも最悪だったのは、その体育教師は校長を取り込んで、彼が気に食わない先生たちをどんどん他の学校へ転勤させていきました。スターリンほどではありませんが、一種の粛清のようなものです。私もその一人でした。
私は英語教員として、センター試験の英語の分析をしたり、国立大学の2次試験の対策を練ったりと、自分にとっては才能がある部分を活かしていきていきたいと考えるようになりました。そして予備校の試験を受けました。
問題を解くのは得意ですので、なかなか良い点数で合格できたものと信じています。しかし転職してもメンタルクリニックに通いながらのことでしたので、どうしても行動が不安定になり、短期間で契約解除になってしまうことが続きました。
それこそ自宅の近辺には学習塾なるものが溢れるほど存在しているのですが、やはり私が教えたいことは大学入試の英語長文ですので、利害が一致しませんでした。
現在では家庭教師業と学習塾講師のアルバイトをしながら少ない給料でなんとかやっている状態です。病気で倒れてしまってからは、妻子とも一緒に住めなくなりました。それで自宅に出戻っています。長男は大学2年生で次男は高校2年生です。どちらも教育費がかかる時期なのですが、いざとなれば外貨預金にしてある貯蓄を崩していかなくてはならない時期がくるかもしれません。
そして学習塾講師や家庭教師業は、夕方から夜にかけてが勤労タイムなので、午前中と昼間はすることがありません。それでお小遣い程度にしかならないのですが、こうやってライティングのアルバイトもしているような状況です。かなり最底辺の負け組を這いつくばっています。
